2017年1月21日土曜日

ゴーゴリ/『外套』、『鼻』

外套・鼻 (岩波文庫)

 ニコライ・ゴーゴリの代表的短編奇憚『外套』、『鼻』を収めたもの。翻訳は平井肇氏による。表紙の紹介によれば、平井氏はゴーゴリの名翻訳者として知られているようである。訳文は、やや古めかしいものの、読みやすかった。

ペテルブルクもの(ロシアのリアリズム)



 おさめられた両作品とも、ペテルブルクを舞台にした話である。加えて、話はリアルタイムの出来事をとして書かれているのが特徴。ペテルブルクの読者は、現代で言うところのニュースやドキュメンタリーを見るような感覚でゴーゴリの小説を読んでいたのかもしれない。もっとも、外套を盗んで歩く幽霊だとか、鼻が役人の姿をして街を歩き回っていただとか、一向にあり得そうもない話が並んでいるわけだが、ニュースやドキュメンタリーとは時にそういう種類のものではないだろうか。
この手の小説の書き手と言えば、フランスのバルザックがいる。彼の代表作『ゴリオ爺さん』にはつぎのような一節がある。

果たしてこの物語がパリ以外の人間に理解されるものかどうか、検討してみるのもいいだろう。なるほど、この物語の背景を説明するこまごまとした観察や地域色を多分に含んだ描写は、もしかすると、モンマルトルの丘とモンルージュの丘のあいだ、今にも剥がれ落ちてきそうな漆喰壁と黒い泥の川とがつくりだすパリというその名高い谷間でしか、評価されないかもしれない。(バルザック(中村佳子訳)『ゴリオ爺さん』8頁)

バルザックとゴーゴリに共通していることは、なんといっても自分が今住んでいる町に対してどういう種類のものであろうと愛着を持っていたという点である。当時のロシア文学会は、フランスほど洗練されているものではなかった。ツルゲーネフのような後代にいたっても、ロシア語で物を書くには読者のために様式を幼稚化させざるを得なかった(ロシアの読者は恋愛のない物語を物語と認めなかった)。こういう中で、リアリズムという最新式の文学上の思想がペテルブルクの土壌に根付いたのは不自然なくらいだ。両世界評論誌の風にのって技巧が伝搬されたのもあるに違いないが、おそらく、ゴーゴリの向けるペテルブルクへの愛着がバルザックという先駆者を発見せしめたためであろう。行く道の先に導があれば、あとはそこまで走れば良い。

パリの街の名前が、渋谷、銀座、六本木や霞が関といった具合に現れても、その臨場感はわからない。それと同様にネフスキー通りと言われてもピンとこないものであるし、上で引用した通り、書き手もそのことを知った上で書いている節がある。二人はどういうわけか非常な自信を持っていた。バルザックは、上の文章に続けて次のように書いている。

そこは正真正銘の苦しみと、大抵はまがい物である悦びが氾濫する谷だ。つねにめまぐるしく変化しているから、そこで多少とも長持ちする刺激を生み出そうとすれば、常軌をいっした何かが必要となるはずだ。(中略)このドラマはただの作り話でもなければ、小説でもないのである。「すべてが真実」なのであって、真を突きすぎて、誰もが、どこかしらに自分に通じるものを見えつけることになるだろう。(同上)

 バルザックは、「この町の人間であろうとなかろうと、おそらくこの物語を終わりまで読めば、きっと涙をこぼすだろうからだ。」と前置きしていることも付け加えておこう。ゴーゴリとて同じ思いでペテルブルクの下級官吏を描いたことだっただろう。二人は、文明を芸術家的に、つまりは情緒的にとらえるという点で一致していた。

第二のゴーゴリ



 ドストエフスキーの綽名は多いが、その中の一つに「第二のゴーゴリ」というものがある。大抵『罪と罰』以前の作風を指してそのように呼ばれる『貧しき人々』はどの典型といえよう。ただ、『罪と罰』以後の作品においても、巣立った巣の匂いはいつまでたっても消えないものであろうか、ゴーゴリ風の書きぶりは見られる。

 そうこうするうちに、この稀有な事件の取沙汰は都の内外に広がって行ったが、よくある例で、いつかそれにはあられもない尾鰭がつけられていた。当時、人々の頭がなんでも異常なものへ異常なものへと向けられており、ごく最近にも磁気学の実験が公衆の注意を惹いたばかりの時であった。そのうえ、コニューシェンナヤ通りの踊り椅子の噂もまだ耳新しい頃であったから、忽ち、八等官コワリョフ氏の鼻が毎日かっきり三時にネフスキー通りを散歩するという評判がぱっと立ったのも、不思議ではなかった。物見だかい群衆が毎日わんさと押しかけた。

 これは『鼻』からの引用だが、こう言う書き方が、例えば、ドストエフスキーが『白痴』でムイシュキンとロゴージンとナスターシャの事件を概観するところや、『悪霊』でスダヴローギンを紹介する段で応用されていることにすぐに気が付くだろう。しかし、ドストエフスキーがペテルブルクを描いたのは、ただ愛着のためではなかったし、ラスコーリニコフにペテルブルクを歩かせた際、「――稀にではあるが、あることにはあり得るのである。」という注釈を必要としなかった。


 『外套』でゴーゴリは、隣人愛を説いているとのことである。一方で『鼻』では、闊達な芸術的手腕を見ることができるらしい。解題ではそのような事が書いてあった。正直なところ、私はゴーゴリの言いたいところのものにピンとこなかった読者であるから、解題を書いた平井氏の言うところはよくわからなかった。しかし、知らない土地の知らない時代の話であっても、退屈しなかったことだけは書いておかなければならない。私は役人たちが織りなす喜劇を楽しんだのである。また時が経って読み直してみると、見えなかったものが見えてくるかもしれない。

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