2017年5月19日金曜日

バルザック/『ソーの舞踏会』等

ソーの舞踏会: バルザックコレクション (ちくま文庫)
オノレ・ド バルザック
筑摩書房
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 バルザックの『夫婦財産契約』


 2014年発売とのことだから、『ソーの舞踏会』から3年の間放置していた計算である。『ソーの舞踏会』があまりおもしろくなかったことと、『夫婦財産契約』という題名からおもしろい話を期待できなかったから手を出さなかったのであるが、最近読んで、これがとんだ誤りであったことを思い知ったのだった。

 夫婦財産契約とは、私が読んだ限りでは、次の代への相続財産を結婚時に決める契約のこと。結婚と同時に両家の財産が一つになって次の代へと送るという意味で、掛け金(この言葉が適当かどうかは知らないが)の交渉は、莫大な資産が一挙に移動するという性格をもつために、人生の一大事であった。現代では相続争いの類が似通うるのだろうか。現代日本においても結婚相手の財産は非常に重要な判断材料ではあるが、とはいえ法的に財産の移動が義務となっているわけではない点で、まだまだ愛の存在を仮定しているのである。ともあれ、当時のフランスの結婚は、制度の上で財産の結婚を意味していたのである。

 バルザックはこの制度に取材して、フランスにおける結婚の悲劇を描いて見せた。一人の青年が、コケットな浪費家の女との結婚する、そして幸福な家庭生活を夢見た、『夫婦財産契約』のあらすじである。これは喜劇かもしれぬ、しかし、ここに悲劇がある。

 バルザックの書き方は非常に大雑把に見えて、必要な情報を詰められるだけ詰め込んだという執筆の性格ために、あの紙面にびっしりと並んだ活字に慣れてしまえば過不足なく見えてきて、読み味は案外に早い。事件の概要を読者に対して鮮やかに提出すると同時に読者に対して余計な共感を登場人物に対して起こさせないのが特徴である。そこにあるものはジレンマ。世間にもまれた主人公。これは社会派としてのバルザックの変わらないやり方だ。「さて、事件はご覧の通りである。ところで読者諸君、この男をどう思う?」。

 この男とは、ポール・ド・マネルヴィル伯爵である。彼は、結末にあって、すべてを失った。父親から譲り受けた莫大な財産はすべて競売にかけられた。妻は間男の子供を孕んだ。次に引用するのは結末の一場面である。
「(中略)もう僕は伯爵じゃないよ、マティアス。僕のパスポートはカミーユという名前になっている。僕の母親の洗礼名さ。それに僕には知り合いがたくさんいるから、僕のためにまたいろいろ運を開いてくれるだろう。商売は最後の手段だよ。いずれにしても僕はそれなりの金をもって船に乗るから、ひと勝負してひと財産作るつもりだ。」(248頁)

 話し相手の老人マティアスは管財人で、既に元伯爵が小銭一枚持っていないことを知っている。
「そのお金はどこにあるんです?」
「友達が送ってくれることになっている。」
 老人はその友達と言う言葉を聞いて、思わずフォークを取り落とした。もちろんからかうためではなく驚いたのでもなかった。その姿は、あてにならない幻想を抱いているポールを目の当たりにして、彼の悲痛な思いを表していた。というのも伯爵が堅固な床と見ているところに、老人の眼は深淵を見通していた。(同上)

 いかにして、マネルヴィル伯爵は商売のためカルカッタ行の船に追いやられたのか。各自本文にてご確認いただきたい。作者の筆には脂がのりきっている。

 なるほど確かに、作者が最後の行に記す通り、彼はおろかで弱いのであり、この期に及んで自分のしたことを理解していないのであるが、それは主人公が一貫して結婚制度を人間の良心に係る家族の誕生と解釈していた点が具体的な「おろか」の最大のものなのである。結婚制度にこれほどまでに異様な金銭上の利害がからみついていることに目を向けようとしなかったためであるが、しかし、これにはただし書きが必要であろう。

 主人公の金銭感覚はたしかに貴族的ではあるが、野心に目覚めた彼は地盤固めのために土地改良を企てているくらいなので、無関心というわけではなく、この制度を十全に理解しているのであれば、社交場での成功と同様に大金をせしめていた可能性だってあった。どうも、知っていて、何もかも理解して、幻想的な良心というものを信じていたようにしか思われないのである。よりにもよって、浪費の化身たるエヴァンジェリスタ親娘に。
 バルザックの着想は明らかである。彼もまた結婚の理想と現実に苦しんだ一人ではなかったか。