2019年11月19日火曜日

セネカ(兼利 琢也 訳)/『怒りについて』他二篇

 セネカ(前4頃-後65)は、古代ローマの政治家、ストア派哲学者。ネロ帝に仕えた後に転向し、壮絶な自殺を遂げた人物とした有名。表紙は、ベーレンスが想像で描いたセネカの最後が採用されている。
 『怒りについて』は、セネカの主著とみなされている。彼の哲学は、この本の3編にもあるとおり、節制や平静、理性の制御など、心を乱さないことが最善と説く一種の幸福論だが、逆説的な言い回しを好み、それがこの文章に戦闘的なイメージをつけたためか、幸福論とは呼ばれない。例えば、人が抱く感情の中でも、怒りについては、一文を費やして辛辣な批判を浴びせている。

 文章は、一般的な論文の形ではなくて、箴言集のように、断片的な考えを散文で少し発展させたものを集めたというもの。考えは上で述べた三点で一貫している。要するに、三つの変奏曲である。多角的な視点で、情念の激しい運動がいかに良くないものかを語っているといえば聞こえはいいが、文の修飾やたとえ話に技巧が凝らしてあるものの、同じことを何度も繰り返しているということなので、読んでいて途中で飽きてくるかもしれない。

「怒り」についての優れた観察


 ローマの格言に、「過ちは人の常」とあるが、これは本当の話で、常にカメラと通信が可能となった現代では、程度の差はあれども、私を含め、全人類が過ちを晒しているようなものである。毎日のように第一級の過ちが目の前に届けられる現状は、いまだかつて訪れなかった環境である。一方で、人間は一般に自分の失敗には寛容で、他人の失敗にはきわめて厳しく、失敗や過ちの発見時には瞬時に怒りへと達するようにできている。

 確かに、失敗は失敗である。過ちは過ちである。しかるべき対応を当の本人はするべきだし、関係者はそれなりの対応を求めるのは当然だ。しかし、「しかるべき対応」は、冷静で理性的な環境でなければ案として浮かんでこないものだ。何が起きても追放や抹殺でもって解決とするというのは、いくらなんでも極端でしょう。セネカによれば、この極論的傾向は怒りによるものなのだそうだ。

 最善なのは、怒りの最初の勃発をただちにはねつけ、まだ種子のうちに抗い、怒りに陥らないよう努めることである。一度常軌をはずれ、斜めに進み出すと、健全なあり方に復帰するのは難しい。なぜなら、いったん情念が侵入し、それにこちらの意向がわずかでも権利が与えられた場所には、もはや理性はいっさい存在しないからである。それ以降、情念は、許されるかぎりではなく、欲するかぎりを行うだろう。
――セネカ『怒りについて』101頁

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2019年9月19日木曜日

メリメ(工藤庸子訳)/『タマンゴ』・『カルメン』

メリメと言えば『カルメン』。同名のオペラは世界的に著名で、劇中に登場するいくつかの楽曲が通俗化しているほどには、我々の生活に密着している。その新訳を目的に手にとって、『タマンゴ』など存在を気にせずにいたのだが、読後感は、『タマンゴ』の方がはるかに強かった。

奴隷貿易の現場と「タマンゴ」のありふれた死


 『タマンゴ』は、奴隷貿易の現場を描いた短編で、私掠船業をクビにされたフランス人船長とアフリカで人を調達している現地人との交渉からはじまり、船の上で奴隷として乗船していた人々が反乱をおこして、幽霊船と化すまでを描く。ほぼ全編にわたって、バカ、短気、堕落が続くと言ってもいい。とんでもない内容だが、メリメが皮肉交じりに巧く書くので、何とか読み進めることができるものの、読み味だけ言えば三面記事の猟奇物の類である。

 題の「タマンゴ」は、アフリカ現地で同胞を調達してフランス人に売る仕事をしているアフリカ系の大男。酒に酔いながら取引をする中で、うっかり妻を売り渡してしまう。失態に気づいた時には既に妻を乗せた船は岸を離れていた。あきらめの悪い彼は激怒し、小舟をこぎ帆船を追いかけて、ついに船に乗り込むことに成功するが捕縛される。もちろん、後々彼が反乱を指揮するのである。カリスマ性のない大悪党は、なかなかいないものだ。

 これだけ書いても、筋と登場人物の終わり具合がお分かりいただけただろう。
 しかし、疑問が浮かぶのは、これを書いたメリメは、俗物ではないのである。この作品を、読者を面白がらせるために書いたと結論すればたやすいのだが、Youtuber並のいたずら半分で公開するような人物では決してないのである。しかし、娯楽としては悪趣味の範囲に入るこの小説はなぜ書かれたのか? この問題の回答は、当時の世の中を参照するとわかりやすい。メリメは、当時官僚として活躍しており、外交官的な仕事もあった。界隈では奴隷貿易の禁止を盛り込んだウィーン条約締結の機運が高まる中、世論を味方につけるべく様々な手が講じられた。実際に奴隷に使用された拘束具を公開展示するなど、詳しくはこの本の解説にあるが、要するに『タマンゴ』も世論を取り込むために書かれたものと考えられている。だが、ありがちな被害者視点の勧善懲悪者に仕立てても良いわけで、その手を取らず、猟奇小説にしたてた点に意図に、メリメ自身の問題提起が強く反映されたと考えても良いわけである。メリメは、誰が悪いかというのではなくて、制度自体が存在するために、関係する全員が悪党となってしまったと考える。

 はっきりいって、この小説には人間の美しい精神はほとんどない。登場人物は皆、全力で悪徳を働いていると言ってもいい。この点メリメのバランス感覚は抜群で徹底しており、俗物や電波見世物屋とは一線を画す確固たる倫理観を証す。視点は第三者的な傍観者であることを最後まで貫く。なるほど、これをとらえて、「人間の本性の暴露」という自然主義的な傾向を見てとるのは、まだ早計である(メリメを自然主義の作家ととらえるのは定見である)。もし、暴露小説であるならば、発見された幽霊船と「彼」タマンゴの後日談にあたる次の一行は不要である。

彼には自由が与えられた。つまり、お上に雇われて働く事になり、しかも日に六スーと食糧がもらえたのである。彼はなかなかの偉丈夫だった。第七十五連隊の連隊長が彼を見初めて採用し、自分の軍楽隊で鼓手に仕立てた。彼は片言の英語を身につけたが、あまりしゃべらなかった。その一方でラム酒や地酒のタフィアをしこたま飲んでいた。――彼は肺炎を起こして病院で死んだ。
[株式会社光文社発行 メリメ著 工藤庸子訳 『カルメン/タマンゴ』四十九頁]

 この一行の直前に、極悪人を縛り首にして結末とする方法をわざわざ避けていることも添えて書いておこう。タマンゴの変化は制度の変化に準じている。尋常な社会には、尋常な精神が育まれると言いたいメリメの意図は、『タマンゴ』と題されたこの小説の主人公の二面性によって表現されている。

堂々たる悪党だった「ドン・ホセ」


 『カルメン』の筋は、オペラの方が有名だろう。連隊所属の「ドン・ホセ」は、故郷からの母親の手紙を読んで感涙を流す無垢な青年だったが、カルメンの魔性の魅力と計略に巻き込まれて盗賊に加わってしまう。しかし、カルメンはそのころすでに闘牛士との別の恋愛を始めており、嫉妬に駆られたドン・ホセは、闘牛場でカルメンを刺す。オペラの中では比較的すっきりとした分かりやすい筋をもち、恋愛に狂った男が惚れた女は、エキゾチックな魔性の女という点が、観客の合点がいくところ(?)であり、そして彼女の淫靡な空気を描く音楽が非常に優れているため、今日までオペラ界のスタンダードナンバーの地位を保ち続けているのだろうかと思われる。

 オペラ版と小説版の際は、構成、目的、人物と少なくないのだが、ここでは、人物の差異について書いておく。カルメンの人物像については、双方とも大差がない。小説版の方がバカ騒ぎの激しいくらいである。情人によれば、「サルだってあんな騒ぎ方はしない」のだそうだ。

 私は小説の表題を飾るような強い個性を持つ女を移植ものの作品でほぼ忠実に描きあげられたオペラ版の功績は、非常に大きいように思われる。たばこ工場から出てくる頽廃を帯びた女工の合唱と直後に哄笑とともに現れるカルメン、淫靡なハバネラの独唱が続くこの一連の描写は、期せずして出来上がったものらしいが、見事というほかない。

 カルメンのキャラクターに差異が少なかった一方で、ドン・ホセは別人のようであった。オペラ版では、故郷から届けられた母親の手紙を読んで、「おふくろが目に浮かぶなぁ……!」などと歌っているが、小説版では、二度の決闘騒ぎを起こして故郷を追われたところから、ドン・ホセのキャリアが始まるのである。順調な軍隊生活を送る点と、たばこ工場から不意に姿を現したカルメンに心を奪われる点や、最後まで恋愛の奴隷だった点は共通だが、小説版の豪傑ぶりは際立っており、オペラ版にはいないカルメンの夫(密輸業のボス)の脱獄に加担した後に殺害し、代わりにボスに就任、界隈では知らぬものがないまでになっている。腕もたてば、人望もあったのだ。オペラ版では第二幕に至っても、ハイビスカスの残り香(逃走時にカルメンに投げつけられたもの)を主題にした内向的な歌を歌っている。盗賊になったといっても、ながされながされ、生きていくために悪事を働くコソ泥である。最後にカルメンを刺すにしても、窮鼠猫を噛む以上の効果はあるまい。小説版は違う。予感はすでに、ホセがガルシアを殺した時から、二人の間にはあった。話の流れが決定的に変わるのは、カルメンの闘牛士との不倫だが、小説版ではセリフすらないこの闘牛士は、競技中に瀕死の傷を負ってしまう。負傷を見届けた直後の二人の会見で、不倫を難詰、傷つけあいつつ、それでも新しい生活を始めようと男は言う。――しかし、口にはしないが、ドン・ホセは、カルメンを殺してしまうことを、カルメンは自分が死ぬことを悟っている。絶対に折り合えない二人を結びつける恋愛を終わらせるには、どちらかが滅びなければならない。人間は、こう言う風にしか他人を理解する事が出来ないものなのだろうか。予感だけが、与件としてはっきりと意識される。つらい時間である。ホセは実りもしないアメリカでの新生活を夢見て、カルメンは占いのせいにして、ずっと気をそらしていた。先に耐えかねたのは女であった。

 カルメンはふっとうすら笑いをうかべて言いました。
「まずはあたし、それからあんたの番だよ。よっくわかってるのさ、いずれそうなるってことが」
[株式会社光文社発行 メリメ著 工藤庸子訳 『カルメン/タマンゴ』一六六頁]

 最後に、最終章に学問的考察を乗せたメリメの意図について。この考察は、小説の筋とは完全に切り離された内容で、トルストイの『戦争と平和』の最後百ページほどにわたる歴史哲学と同様に余計なページとして、批判にさらされてきた部分らしい。上では全く触れなかったが、小説内部は、スオ絵院の社会生活、バスク地方やボヘミアン特有の方言や成句に満ちており、異国情緒以上に強く、その土地で起きた事件という感を抱かせるものである。調査考察の上に成り立っていることは言うまでもない。私は、メリメとしては、『タマンゴ』でやったことをここでもやったのではないかと考えている。バスク的ボヘミアン的事件は、その土壌が育んだ悲劇であり、その中心人物こそ、カルメンという女であったのだと。土壌は実在しているのだと。

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2019年8月19日月曜日

フーコー(阿部 崇 訳)、他/『マネの絵画』他

哲学者フーコーが、画家のマネについて語った講演を文書化したものと、フーコー研究者あるいは哲学者によるフーコー論が8本組み合わされた本。

 その他のフーコー論は、フーコーのことをよく知っている人に向けに書かれたものだろう。氏の職業が哲学者である以外、何も知らない何を言っているのかわからない部分が多々あった。「チェニジア時代のフーコー」と言われても何のことやらわかりません。

マネが実用化した新たな絵画規則


フーコーの講演は、マネの当時における革新性を解説したもの。分かりやすい。前知識なしで読書に支障ない。ボードレールのドラクロワ論が、何が描かれているかよりも、どう描かれているかという点に的を絞って書かれていたが、それと同様の趣向である。マネの仕事が、ただ革新的な面をアピールするばかりではなかったにしろ、彼が意識的に革新的な「画面の使い方」を作品に採用したのは紛れもない事実であると、解説はこの「画面の使い方」に絞ってされる。論点は以下の通り。

・キャンバスという空間
 画面の幾何学図形的構成と奥行きの使い方について。
・照明
 光源の位置について。
 有名な『オランピア』に描かれた女性を照らす光は、鑑賞者の位置に光源があるため、あたかも鑑賞者がこの女性を照らし暴いている関係に立つという。
・鑑賞者の位置
 『フォリー・ベルジュールのバー』の鏡の中について。

 フーコーの語り口は、ほとんど美術評論家のもので、マネの革新性だけでなく、それまでの西洋で採用されてきた絵画規則まで勉強になってしまう。普通こういうたぐいの議論には、誰に影響を受けて、どう後世への影響を与えたかを長々と喋るのが一般的だが、フーコーはほのめかす程度で、議題以外のことに余計な事をほとんど考えさせない工夫を施すところは、解説者として上質な部類に属するとさえ思える。

 巻末の本の広告をみると、フ-コーは狂気とか監禁についても書いているようだ。まったく想像が出来ない。狂気、監禁、それに性もそうだろうが、理性の欠けた行為とされるものを理性で捉えること、これは理性による本能の征服と言えようが、古来より文章の書き手が苦しんできた絶望的な戦いも、みんなマネ論のように明快な調子で書かれているのだろうか。

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2019年7月19日金曜日

夏目漱石/『二百十日』

夏目漱石の『二百十日』は、青年期の男二人が、九州を旅した話。
 漱石は、浜虚子宛書簡のなかで、この青年二人(圭さんと碌さん)の現代での必要性について語っている。

圭さんは呑気にして頑固なるもの。碌さんは陽気にして、どうでも構はないもの。面倒になると降参して仕舞ふので、其降参に愛嬌があるのです。圭さんは鷹揚でしかも固くとつて自説を変じないところが面白い余裕のある逼らない慷慨家です。あんな人間を描くともつと窮屈なものが出来る。又碌さんのようなものをかくともつと軽薄な才子が出来る。所が二百十日にはわざと其弊を脱してしかも活動する人間のように出来てるから愉快なのである。(中略)僕思ふに圭さんは現代に必要な人間である。今の青年は皆計算を見習ふがよろしい。然らずんば碌さん程悟がよろしい。
(漱石全集第三巻508頁 ※高浜虚子宛書簡の孫引き)

 テーマは『坊ちゃん』の主題の変奏と言ってもいいだろう。おそらく社会風刺を目指した。思想だの爵位など資産だのを防寒具のように着こんで人間から進化したみたいに涼しい顔したり、イキリ倒したりしている、そんな連中の巣食う社会を蹴っ飛ばしてスッとするような人間を欲した。しかし、出来上がってしまったのが、とてもイギリス帰りの文学者の作品とは思えない江戸っ子風味で、落語にもならなそうな珍談になっているのが面白い。

 『二百十日』は、青年期の男二人が、九州を旅した話。二人で温泉に入るのはいいが(すでに碌さんは圭さんと共に街から九州に赴いているのだが)、宿で一泊した後、噴火活動中の阿蘇山に上るという冗談みたいな展開を見せるのである。
 宿で下女を交えての一幕。

「人格にかゝはるかね。人格にかゝはるのは我慢するが、命にかゝはつちや降参だ」
「まだあんな事を云つてゐる。――ぢや姉さんに聞いて見るがいゝ。ねえ姉さん。あの位火が出たつて、御山へは登れるんだらう」
「ねえい」(引用者注:「はい」の意)
「大丈夫かい」と碌さんは下女の顔を覗き込む。
「ねえい。女でも登りますたい」
「女でも登つちや、男はぜひ登る訳かな。飛んだ事になつたもんだ」
「兎も角も、あしたは六時に起きて……」
「もう分つたよ」
 言ひ棄てゝ、部屋のなかに、ごろりと寝転んだ、碌さんの去つたあとに、圭さんは、黙然と、眉を軒げて、奈落から半空に向かつて、真直ぐに立つ日の柱を見つめてゐた。
(漱石全集第三巻214頁)

 碌さん圭さんに丸め込まれる。
 こんな調子の二人のやり取りが、究極のところ、どこまで二人を連れて行くかと言うことを描いたらこうなったと、作者は言うだろうが、これでは向こう見ずな馬鹿の珍道中である。たしかに、こういう人間が日本にはいないことは確かだが、これを東京のど真ん中においたら大変な事になるだろう(だから、九州の温泉地から話を始めたのかもしれない)。旧州域の汽車に乗る段でもひと悶着あったに違いない。
 上で引用したように、山の状況はどう考えても危ないのだが、圭さんは慷慨精神を忘れずめげず、頂上を目指す。碌さんは断れない。この奇妙な味わいが、この作品の特徴と言っておこう。山登りの風景はそれなりに迫力があり、軽い動機で赴いて自然の脅威にさらされ、割と危ない状況になる。

「痛むんだらう」
「痛む事は痛むさ」
「だから、兎も角も立ち給へ。そのうち僕がこゝを出る工夫を考へて置くから」
「考へたら呼ぶんだぜ。僕も考へるから」
「よし」
 会話はしばらく途切れる。草の中に立つて碌さんが覚束なく四方を見渡すと、向ふの草山へぶつかつた黒雲が、峰の半原で、どつと崩れて海のように濁たたものが頭を去る五六尺の所迄押し寄せてくる。時計はもう五時に近い。山のなかばは只でさへ薄暗くなる時分だ。ひゅうひゆうと絶間なく吹き卸ろす風は、吹く度に、黒い夜を遠い国から持つてくる。刻々と逼る暮色のなかに、嵐は卍に吹きすさむ。噴火孔から吹き出す幾万斛の烟は卍のなかに万遍なく巻き込まれて、嵐の世界を尽くして、どす黒く漲り渡る。
(漱石全集第三巻240-241頁)

 もちろん、二人は死にはしない。

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2019年6月19日水曜日

志賀直哉/『暗夜行路』

志賀直哉の『暗夜行路』は、20代後半くらいの小説家の半生を描いたもので、その間のほぼ人生全体にわたり、雑多なテーマをこなしていくが、基本的には、恋愛話が中心である。恋愛と言うと、男と女の磁力の強弱を扱うのが恋愛小説始まって以来衰えのない流行りだが、こういうものは全然なく、主人公の性欲が根源となって相手を求めていくところに特徴がある。

 「ちょいと、これでしたわネ」と登喜子は謙作の顔を覗き込むようにして、同じ指を握り返したりした。そんな時、他の人の場合では、感じない鋭敏さを以って、その握り方の強さを彼は計った。『暗夜行路』第一2

 彼は放蕩を始めてから変にお栄を意識しだした。これは前からもないことではなかったが、彼の時々した妙な想像は道徳堅固にしている彼に対し、お栄の方から誘惑してくる場合の想像であった。『暗夜行路』第一11

 かと言って、人間の本性を暴いたとか、そういう風でもないのである。
 ところで、書いた本人は、テーマについて「女のちょっとしたとういう過失が、――自身もそのために苦しむかもしれないが、――それ以上に案外他人も苦しめる場合があるということを取り上げて書いた。」といっており、確かに大筋はこれに基づいて主人公の行動指針は定まっていく。途中主人公が東京から尾の道に居を移したのもこれが原因であるが、そうこうしているうちに京都で結婚している。結婚して生活が始まるのもまた恋愛小説ではあまり見ない展開ではないだろうか。

 私が面白く思ったのは、この長編は、夏目漱石から『こころ』の後の朝日新聞小説欄を任されて書き始めたという話で、「ちょっと難しい」と志賀が回答したところ、「書けないことを書いてしまえばいい」と言ったそうだ。そういうわけか、『暗夜行路』の新婚生活中の描写に、全然筆が進まなかったことが書いてあり、「小説の書けない小説家」というテーマもこなしている。この手のものは、大抵小説家の愚痴が、担当編集や批評家風読者の悪口と一緒に料理されているのが普通だが、まったくそういう気配はなく、主人公の新婚生活は如何にも幸せと言う感じが出ていて、多少不幸がないと筆も進まないものかと思いながら、読み進めていくと、そうでもないことがわかる。

 志賀直哉の『暗夜行路』の感想を書こうと小林秀雄の『志賀直哉』を読み直した。とても参考になったが、その彼にしても、この作品から受ける無駄な読後感のなさと言うものとの格闘の後がないわけではなかった。ドストエフスキー論の饒舌と比べれば一目瞭然である。「余計な読後感などない」と書いたところで紙幅は埋まらないから、しかたなく読後感をでっちあげるのだ。

 読後感のなさの原因は、文章であるように思われる。志賀直哉の文章一般に言えることは、余計な事を考えさせないということではないだろうか。ただ筋を追っていく楽しみだけでなく、文章の世界に没入させること、これを陶酔力と言えば、その力は抜群で、ただ上質な読書体験ができるという点でも本書はお勧めできる。

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2019年5月19日日曜日

ドストエフスキー(工藤精一郎 訳)/『未成年』


 ドストエフスキーの『未成年』を読んだ。 
 未成年の主人公アルカージイが、身も心も未成年そのままで世間に出て、海千山千の世間に誑かされるという笑えるような悲しいような話だが、その話を書くのはアルカージイ本人である。主人公自身が世間に良いように弄ばれている事を最も自覚しているという自虐的趣向は、この作家お得意の書き方と言っても良いのではないだろうか。


わたしは自分を抑えきれなくなって、人生の舞台にのりだした当時のこの記録を書くことにした。しかし、こんなことはしないですむことなのである。ただ一つはっきり言えるのは、たとい百歳まで生き延びることがあっても、もうこれきり二度と自伝を書くようなことはあるまいということである。実際、はた目にみっともないほど自分に惚れこんでいなければ、恥ずかしくて自分のことなど書けるものではない。ただ一つ自分を許せるとすれば、みんなが書くような理由から、つまり読者から賞賛を得たいために、書くのではないということである。もしわたしが急に、去年から私の身辺に起ったことを逐一書き記そうと思いたったとしたら、それは私の内的要求の結果なのである。それほどわたしはそれらのできごとにはげしく胸をゆすぶられたのである。わたしはつとめていっさいのよけいなもの、特に文学的な潤色を避けて、事件だけを記述しようと思う。(ドストエフスキー『未成年』)



 主人公である彼は、出生からして複雑である。戸籍の上では正当な結婚上生まれたことになっている私生児と、勢いとつじつま合わせの重なった風刺のような状況である。これを足掛かりに、書類上の家族の団らん風景だとか、遺産がどうとか、堕落した貴族の恋愛模様だとか、まぁ、当時常態化していたであろう椿事が次から次へとでてきて巻き込まれる。金銭、性欲、名誉、無責任、作家の筆から流れ出る精神の罪はとどまることを知らない。ペテルブルクは何かがおかしいと、それなら自分もおかしくなってやろうとするが、そこはペテルブルクの方が一枚上手なので、アルカージイの悪事はまるで歯が立たない。ペテルブルクは何かがおかしい、読者はアルカージイとともに苦笑い。



こんな調子で長編が出来上がっていて、現代(作者存命時のペテルブルク)の混沌とした世の中を、世の理想と若い野心(つまりやわらかい心)のみで出来上がったような青年に歩かせるとどうなるか、と言う実験を地で行くのである。きっとこの青年は、自伝を書き始めるだろう、「わたしが急に、去年から私の身辺に起ったことを逐一書き記そうと思いたったとしたら、それは私の内的要求の結果なのである。それほどわたしはそれらのできごとにはげしく胸をゆすぶられたのである。」と言う理由でだから、作品中多少の誤解はあって当然なのだ。主人公は真の愛情だって見逃すことだってあったかもしれない。しかし、作家の義憤は喜劇に託されたという意義に変わりはない。ここで、ドストエフスキーがこの作品を前後して『作家の日記』という社会時評を連載していたことを書いておこう。この辺の事情は、『ドストエフスキイの生活』に詳しい。

 『未成年』はペテルブルク風刺画で、現代日本からすれば臨場感に欠ける。このためにドストエフスキーの長編作品の中で最も影の薄い存在なってしまっているのだろうが、作家のダークネスユーモアが前面に出た作品とみれば、楽しめる部分は多いように思われる。

2019年4月19日金曜日

モーパッサン(太田 浩一訳)/『宝石』『遺産』ほか、モーパッサン傑作選

庶民のスキャンダル詰め合わせ

 モーパッサンの短編集の第二弾。かつて王を笑った滑稽劇は、現代の王たる大衆を笑う。これはモーパッサンの作品の一貫した意義みたいなものである。相も変わらず、人生の滑稽でおろかな側面を満載した文学の集成と言った感のあるもので、味わいは苦く、読後感と言えば、どれもこれも「どこで間違えたのだろうか」だとか、「これで良いのか」という疑問に終わる。

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 どこでどうやって間違えたのか、モーパッサンの回答は単純である。人生で時折出くわす転換点の出たとこ勝負で、プライドあるいは利益の囲い込みを優先してしまうからだ。作家がこれを描くときは共通して、それまでの緻密詳細な解説抜きに、人物は余計なことを口走り、手が出ている。人間における利他精神は後天的なもので、思慮もなく放置しておけば、こう動くに違いない、モーパッサンの人間観はこう言うところに現れる。

 モーパッサンの翻訳の流行とその終りが翻訳を担当した太田さんの解説の中にあった。原因は、この手の性悪説、よく言えば反面教師的な物語は、都合のよい上位互換的な存在が出現によるのではないだろうか。事実でありかつ映像つきのワイドショーの芸能コーナーが、あらゆる醜聞を視聴者に伝え、強く訴えている。その上、人間の本性はこれだと言いながら、都会や田舎の人間、言ってしまえば読者の分身を利己の滑稽劇に仕立てるモーパッサンよりも、変わり者の集まりという定見の定まった業界を舞台にしている分、自分たちは普通の人間だからこうではないと傷つかずに済むのである。形は違えど、モーパッサンのテーマと味わいは、現代に通じるものがある。


2019年3月19日火曜日

ベッカー(河上 徹太郎訳)/『西洋音楽史』

バッハ以前の作曲家から、シェーンベルク等の出現までを、社会の変遷と和声の時代の始まりと発展という観点からまとめた。ラジオ向け講義を本にしたもの。ただし、著者が歴史の流れをつかむのはバッハからだと思われた。

 ベッカーがこれを書いた当時は進歩と発展を進化論風に語るのが流行っていたらしく、それに対する反論をこの本でしてみたかったらしい。同時代向けの本の割にしっかりしている。

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社会、思想の変転と技術革新


 芸術は社会の変化に敏感である。宗教改革や革命が起こり封建社会から自由の時代へと移行する中で、人間は従うだけでなく、自ら考えるよう迫られるとともに、自らの内面に注目するようになる。芸術の変化とは要するに創作技術の変化でもある。音楽の和声の部分は、精神への影響と言う点では最も影響を与えやすい要素で、和声的な音楽が好まれ、発展が非常な勢いで進んだ。これが古典の時代からロマン派に至る一連の運動である。

 時代が下り、和声の発展は文学との融合(音楽は具体的何かを表現する事が出来るという考え:標題音楽)を果たすとともに、着想は作曲家個人の体験に依存し始める。一方で技術そのものは学術化が著しくなり、和声の中でもカデンツを利用した者が最も強い効果をもたらすということが経験則上で発見され、表現の中でも最も効果的な着想題材は「救い」であることがワーグナーの作品によって立証された。

 ざっと書いても何の事だか分らないだろう。安心してください、本文の記述はもっと細かい。国民楽派の登場や理論面では通奏低音から旋律に音楽の主導権が移る等、技術革新と、芸術家らの運動が描かれる。モーツァルトやベートーヴェン、シューベルト、ショパン等の歴史的位置づけも詳しい。

ロマン派の袋小路


 読後感として、他の分野の芸術史を思い出さずにはおれなかった。
 芸術史一般に言えることは、社会の運動と切り離すことができないという点で、絵画史、文学史の概観を見ても、中世から近代、現代に至るまでの道筋は、既にロマン派の登場で定まったまま、思想自体は現代にまで通じているように思われる。

 技術革新によって、芸術史はある程度の時代を区分し、芸術は多彩さを常に更新し続けているように思われるが、それは見かけだけで、かつて模範とすべき様式のもと創作し、その名人を芸術家と呼んでいた時代とは違い、革新された技術のもとで芸術家らが安定した環境を得たわけではない。むしろ孤立を深める原因であったとすら言えるのである。特に近代に入ってからその傾向は著しい。情報の大量浪費社会は、別にインターネットの登場に始まった現象ではない。印刷技術の発達と中産階級の登場により、芸術市場の発展と歴史的知識の流通が著しくなったとともに、孤立を深めていく芸術家はより一層増えるのである。芸術上の技術革新は、行き場を失った個性が危うい土台の作業場で作り上げた秩序であり、あだ花であり、明瞭となった聴衆と作者の国境であると言うわけだ。自分の頭で考えるとは、強固な社会や秩序を前提としなければ、どんな狂気に人を導くか知れない。せいぜい欲望を発散する事が出来ないのは、社会のせいであるという結論を得るだろうが、得たところで何になろう。

 我々は、原則として自分の頭で考えるという時代にいる。その原則には人類の共通の利益は、多様性とともに留保されなければならないという但し書きを添えられている。

 話がそれてしまった。最近の音楽が、映画等の実用音楽と売り上げ至上主義と言う明確な目的をもって作り続けられる以上、秩序だった安定とある程度の質は確保され続けるだろう。ジョン・ウィリアムズが、最近クラシック扱いされ始めたのは周知の通りだ。一方の現代芸術とやらの孤立は、やはりロマン派の袋小路を象徴する負の遺産のように見えはしないだろうか。見る人や聴く人を巻き込む力もない。勝手にやるのはよろしいが、私にはああいうものに公費を投入する意味がわからない。

2019年2月19日火曜日

竹村 彰通/デ『データサイエンス入門』

仮定を立証する意味で、統計的手法をとることは今までも行われてきた(朝食と成績の相関関係など)ことだが、これからは、数字先行型の、とりあえず数字だけ記録しておいて、振り返ってみると、どうやら法則があるようだという段階に移りつつある、そういう話が載っていた。

 なお、統計にまつわる数学や理論は、伝統的な学習方法で身に着けてくださいとのことで、この本を読んで身につくわけではない。あくまでこういうことができて、きっとこういう可能性がありますよと言う紹介にとどまるもの。

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数字の意味を見易くする新しい眼鏡


 インターネットの登場と電子記録媒体の発展によって、数値の記録などは義務のように行われている。あまり意識されていない方も多いようだが、ネット上のすべての行動は記録されているといっても過言ではない。ビッグデータと呼ばれているものの一つである。『我がままな感想』のアクセス数は微々たるものなので、統計的には大したデータにはならないが、大きくなればなるほど人の動きの大きな傾向を把握する事が出来る。どの記事がよく読まれているかを把握するのはもちろんのこと、どういったテーマが読者の関心を引き付けるのかなどなど。ビッグデータは、社会科学の領域を、理念系と呼ばれる人形を超えて、より身近な生の行動に即した領域へと広げたといっても良いだろう。

  しかし、気をつけなければならないのは、統計の真理は、計測可能領域に限られるということだ。例えば、大手検索サイトのデータは凄まじい量だが、それは積極的に探したいものがある人間を対象としたアンケートに過ぎない。それを、全人類の意図と受け取るのは誤りである。

  数値先行型は、仮定を抜かしているという点で、数字の大きさに惑わされ易い。数値が新たな視点を提供し、問題解決の大きな助けになることは違いないのだが、有無を言わせない大きな傾向をそのまま回答として受け取るのは危険である。やはりここは、バルザックが『幻滅』で書いたように(統計自体は別に新しい学問ではないのだ)、「濫用しなければ便利な道具さ」という気分で利用するのが、妥当なところなのではないだろうか。ビッグデータは、社会を見えやすくする数字をもたらしたと捉えるべきだろう。その意味するところを見るための眼鏡を磨くのが、データサイエンスという分野ではないかしらん。

幻滅 ― メディア戦記 上 (バルザック「人間喜劇」セレクション <第4巻>)
バルザック 鹿島 茂 山田 登世子 大矢 タカヤス
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2019年1月21日月曜日

葛飾北斎(日野原 健司 編集)/北斎 富嶽三十六景


 世界的に著名な北斎の『富嶽三十六景』及びその派生作品の画集で、作品ごとに二頁ほどの解説を付けたもの。カラー印刷で、手軽であり、持ち運びに便利だが、絵も見開き二頁のため、文庫本の制約で真ん中は隠れてしまっている。

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 もちろん巻末の解説は付いているが、北斎の人となりや生涯、仕事の概観については、カラー版 北斎に当たった方が良いだろう。この本は、江戸時代に花開いた版画産業の構造についての解説もあり、しかもわかりやすい(これはとても重要な事だ)。カラー版岩波新書シリーズでも優れた一冊である。

2019年1月15日火曜日

バーリン(河合秀和 訳)/ハリネズミと狐――『戦争と平和』の歴史哲学

この論文は、トルストイの『戦争と平和』に現れる歴史哲学を扱ったもので、登場人物の名前が散見され、同作品の読者でなければ退屈なものであるように思われる。読者であっても、トルストイの独特な歴史哲学、私が読んだところでは「すべて人間は歴史の流れに沿う以外にうまく生きることはできず、その流れの前ではナポレオンも凡人である」と言うものを読み飛ばした人は結構いると思う。論文化した最終章は特にそうだ。

 トルストイが『戦争と平和』を書き始めた当時、ナポレオンに関する歴史的記述は彼の天才性によるところが大きいという一種の神秘主義に支配されていた。これが気に食わないトルストイの展開した歴史議論は、それに対する痛烈な反論であった。しかし、いきつく結論は、要するに、「流れ」自体は不可知領域にあり、感じるまま、あるがままがいちばんという、あまりに迷信的な、あまりに受け入れ難い楽観主義であった。神秘的という点で、二つはあまり違いがない。ここから、大文学者トルストイと二流未満の歴史家トルストイという見方が現れる。

 この本でのバーリンの仕事は、ほとんどの人が真面目に受け取ることはなかったトルストイの歴史哲学の再考にある。

 ただ、バーリンの本当の目的は、新しい歴史哲学の発見(確認)であった。後半の解説に詳しい多元主義的な見方と呼ばれるものがそれである。ほとんど考えることをやめたに等しいトルストイの歴史哲学の中に、より正確な回答のようなものがあると考えていたとは思えない。トルストイは、「既存の歴史に対する見方を破壊するまでは完全に正しく、手法も冴えわたっているが、一方でトルストイ流の歴史哲学には彼自身の問題に深くかかわっている」という洞察もみられる。

 バーリンの中でのトルストイは、自分の考えにとっては曖昧な、しかし、回避する事の出来ない存在として取り上げられていることを、本文を読んで何となく感じられるところである。新たな思想のため、バーリンには、トルストイの洞察をバーリンが志向する歴史哲学の先見例として祭り上げることもできただろう。巷の三流文士がよくやるように。そうしなかったのは、彼の分析者としての性質によるのではないだろうか。

 非常に鋭くて想像力が大きく、また明敏な分析者はすべて、もはや壊すことができない核心に行きつくまで物を分解し砕いていく。『ハリネズミと狐』

 彼はここでトルストイの性質について語っているだけではない、自分の性質についても言っているのである。この手の直観によるほかに、人は人に近づくことはできない。バーリンもまた分析者であった、しかも明敏な。以下の結論は、論理以前に存在していたと私は推察する。

「トルストイの現実感覚は最後まであまりにも破壊的であった。彼の現実感覚は、自分の知性が世界を粉砕し、そしてその粉砕した断片を材料に彼がやっと構築した道徳的理想と両立する事が出来なかった」『ハリネズミと狐』

 バーリンが分析したのはトルストイの『戦争と平和』だが、彼は後半でトルストイの哲学と悲劇的な運命に別れを告げた。バーリンの分析の力が、哲学を切り離し、トルストイにしか背負うことのできなかった重みを眺め、別れを告げさせるのである。ここに至る恐ろしいまでの迂路と見事な論述捌き、紙背に宿る執念と情熱は読んだ人にしかわからない。バーリンにはもっと楽な道はあったはずだ。

 その一方で、『戦争と平和』以前にトルストイの性質として残ったもう一つの塊、冴えわたった破壊の手腕に着目するのである。バーリンの驚くほど明切な筆は、トルストイの歴史哲学の手法に食い込むとともに、彼の作品のすべてが背負う羽目になった私小説的性質の作品本文を透過して、メーストルと言う同志を探り当てる(これはもう鳥を刺す矢のような直感から始まる比較論である)。破壊的と言う一点において、二人を交差させ、トルストイと言う一人の悲劇的人物について、上で引いた結論にまで道を引く。