2019年4月19日金曜日

モーパッサン(太田 浩一訳)/『宝石』『遺産』ほか、モーパッサン傑作選

庶民のスキャンダル詰め合わせ

 モーパッサンの短編集の第二弾。かつて王を笑った滑稽劇は、現代の王たる大衆を笑う。これはモーパッサンの作品の一貫した意義みたいなものである。相も変わらず、人生の滑稽でおろかな側面を満載した文学の集成と言った感のあるもので、味わいは苦く、読後感と言えば、どれもこれも「どこで間違えたのだろうか」だとか、「これで良いのか」という疑問に終わる。

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 どこでどうやって間違えたのか、モーパッサンの回答は単純である。人生で時折出くわす転換点の出たとこ勝負で、プライドあるいは利益の囲い込みを優先してしまうからだ。作家がこれを描くときは共通して、それまでの緻密詳細な解説抜きに、人物は余計なことを口走り、手が出ている。人間における利他精神は後天的なもので、思慮もなく放置しておけば、こう動くに違いない、モーパッサンの人間観はこう言うところに現れる。

 モーパッサンの翻訳の流行とその終りが翻訳を担当した太田さんの解説の中にあった。原因は、この手の性悪説、よく言えば反面教師的な物語は、都合のよい上位互換的な存在が出現によるのではないだろうか。事実でありかつ映像つきのワイドショーの芸能コーナーが、あらゆる醜聞を視聴者に伝え、強く訴えている。その上、人間の本性はこれだと言いながら、都会や田舎の人間、言ってしまえば読者の分身を利己の滑稽劇に仕立てるモーパッサンよりも、変わり者の集まりという定見の定まった業界を舞台にしている分、自分たちは普通の人間だからこうではないと傷つかずに済むのである。形は違えど、モーパッサンのテーマと味わいは、現代に通じるものがある。