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2021年12月17日金曜日

エピクトテス /『人生談義』


  エピクトテスがローマの哲学者というだけで手に取った本。全二巻。広告の帯に『自省録』のきっかけとなったという触れ込みや「体を縛っても精神は縛ることはできない」みたいな感じの文句にひかれたのかもしれない。


 『自省録』、特に好きでもない本。ひたすら倹約と自己研さんに努める王のメモ書きからは、高い道徳性と、道徳そのものの完成度の高さを感じられるものの、実践に欠け、怠け癖のある私とは相性が良くなかった。どこかで見かけたこの本への批判、これは王専用の倫理学、被支配者にとってみれば働かすことを禁じられた自由意志を、消費そのものが不可能な者達を倹約の掟で縛るものなのであって、つまるところ、あってもなくても一緒なのだ、という一文を検証もなく暗記している。不意に現れた復讐の機会が果たされたという爽やかな気分が、記憶を持続させているのかもしれない。


 エピクトテスについて回る出自の話、「奴隷出身の哲学者」という触れ込みはあまり信用ならないものであるように思われた。今まで奴隷が何人存在したかは分からないが、本当の奴隷でもそうでなくても人の言葉はまず後世に残らないから。上で確認したように、頭のいい奴隷、考える奴隷というのは、面倒な奴隷と相場は決まっているので、エピクトテスは支配層からは常に監視を受けていたのではないかと思われる。その監視の中で、エピクトテスは文学の域に高められた弁舌でもってストア派の哲学を歌い上げた。


 エピクトテスの講義の記録たるこの本での彼は実に雄弁で、節制を解き、相手の胸に手を当てさせる手腕の見事さはキケロー以下のローマ弁論術仕込みの賢者のような物言いは見もの。贅沢は良いことだろうか、胸に聴いて見たまえ、他人の妻と寝てもいい事だろうか、自分の胸に聴いて見たまえ。手柄を一人占めしてもいいものだろうか、自分の胸に手を当てて聴いて見たまえ。ところが、これは哲学一般の話でもあるのだが、ニーチェが言うところの問題提起、倫理学そのものへの問いがここでも欠けている。倫理学の体系に触れようとするときの議論の誘導や、善悪の彼岸についての議論は、ゼウスを中心とした神々の世界の掟にたどり着くよう道筋を立てている。おそらく、当時の常識的なものだ。支配層からの監視がそうさせたのか、最初からこうだったのかは知らない。いずれにせよ、エピクトテスの言う自由は、当時の常識的な掟に縛られる。もちろん悪徳からも逃れなければならない。いやむしろ、エピクトテスの言うところによれば、進んで神々を模範としなければならないし、悪徳からは距離を置かなければならない(王権なんてどうでもいいのだ)。なぜなら、それこそが意思のあるべき姿だから。そのためには意思そのものの探究と鍛練が必要なのだ、哲学をするとは、意思の探究と鍛錬を言うのであり、あるべき姿、エピクトテスの言うところの自然本性にしたがって生きる事を目的とした実践的な意思の練磨なのだ。


 あとがきに海外の自己啓発本での引用回数の多い哲学者のひとりにエピクトテスがいるらしい。悪い冗談だと思った。しかし、いかにも自己啓発本で一発当て用とたくらむ連中の考えそうなことだとも思った。最高善は、意思の自由であり、贅沢や出世とは俗世の争いに過ぎない、夢を追おう! 禁欲生活を実践しよう! 奴隷哲学者エピクトテスはこんなことを言っている! まぁ、そんな所だ。なんとなく偉大な感じのするラテン語哲学の印象にいくらでものっかるがよろしい。稼ぎも細く、出世の道もないような人たちの中ではびこる逃避的精神主義は、金もかからず、徳が高いことを周囲にアピールしたい、選良たちを資本主義の犬どもと見下したいかなり醜い下心とよく調和しエスカレートさせるのだ。この世の終わりまでベストセラーであり続けよ。


 エピクトテスはたまに本音を言う(こう言うところは『自省録』の作者と違って人間味があっていいと思う)。彼は、哲学生活を実践したいという若者たちに対し、自由になるとは、俗世の誘惑をすべて断ち、あの時代にあって故郷を遠く離れた場所で報われることのない精神の鍛錬を続けることなのだ、と。哲学とは、逃れられない人間の悪しき部分との生涯をかけた戦いなのだと。次の問いを常に胸に抱いて。


 自分の心に現れたことならなんでもしたがう人たちは何と呼ばれるだろうか。

「気が違っている人です」

 われわれがしていることはこれとは別だろうか。

エピクトテス(國方栄二 訳)著『人生談美』164頁

2019年11月19日火曜日

セネカ(兼利 琢也 訳)/『怒りについて』他二篇

 セネカ(前4頃-後65)は、古代ローマの政治家、ストア派哲学者。ネロ帝に仕えた後に転向し、壮絶な自殺を遂げた人物とした有名。表紙は、ベーレンスが想像で描いたセネカの最後が採用されている。
 『怒りについて』は、セネカの主著とみなされている。彼の哲学は、この本の3編にもあるとおり、節制や平静、理性の制御など、心を乱さないことが最善と説く一種の幸福論だが、逆説的な言い回しを好み、それがこの文章に戦闘的なイメージをつけたためか、幸福論とは呼ばれない。例えば、人が抱く感情の中でも、怒りについては、一文を費やして辛辣な批判を浴びせている。

 文章は、一般的な論文の形ではなくて、箴言集のように、断片的な考えを散文で少し発展させたものを集めたというもの。考えは上で述べた三点で一貫している。要するに、三つの変奏曲である。多角的な視点で、情念の激しい運動がいかに良くないものかを語っているといえば聞こえはいいが、文の修飾やたとえ話に技巧が凝らしてあるものの、同じことを何度も繰り返しているということなので、読んでいて途中で飽きてくるかもしれない。

「怒り」についての優れた観察


 ローマの格言に、「過ちは人の常」とあるが、これは本当の話で、常にカメラと通信が可能となった現代では、程度の差はあれども、私を含め、全人類が過ちを晒しているようなものである。毎日のように第一級の過ちが目の前に届けられる現状は、いまだかつて訪れなかった環境である。一方で、人間は一般に自分の失敗には寛容で、他人の失敗にはきわめて厳しく、失敗や過ちの発見時には瞬時に怒りへと達するようにできている。

 確かに、失敗は失敗である。過ちは過ちである。しかるべき対応を当の本人はするべきだし、関係者はそれなりの対応を求めるのは当然だ。しかし、「しかるべき対応」は、冷静で理性的な環境でなければ案として浮かんでこないものだ。何が起きても追放や抹殺でもって解決とするというのは、いくらなんでも極端でしょう。セネカによれば、この極論的傾向は怒りによるものなのだそうだ。

 最善なのは、怒りの最初の勃発をただちにはねつけ、まだ種子のうちに抗い、怒りに陥らないよう努めることである。一度常軌をはずれ、斜めに進み出すと、健全なあり方に復帰するのは難しい。なぜなら、いったん情念が侵入し、それにこちらの意向がわずかでも権利が与えられた場所には、もはや理性はいっさい存在しないからである。それ以降、情念は、許されるかぎりではなく、欲するかぎりを行うだろう。
――セネカ『怒りについて』101頁

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2019年7月19日金曜日

夏目漱石/『二百十日』

夏目漱石の『二百十日』は、青年期の男二人が、九州を旅した話。
 漱石は、浜虚子宛書簡のなかで、この青年二人(圭さんと碌さん)の現代での必要性について語っている。

圭さんは呑気にして頑固なるもの。碌さんは陽気にして、どうでも構はないもの。面倒になると降参して仕舞ふので、其降参に愛嬌があるのです。圭さんは鷹揚でしかも固くとつて自説を変じないところが面白い余裕のある逼らない慷慨家です。あんな人間を描くともつと窮屈なものが出来る。又碌さんのようなものをかくともつと軽薄な才子が出来る。所が二百十日にはわざと其弊を脱してしかも活動する人間のように出来てるから愉快なのである。(中略)僕思ふに圭さんは現代に必要な人間である。今の青年は皆計算を見習ふがよろしい。然らずんば碌さん程悟がよろしい。
(漱石全集第三巻508頁 ※高浜虚子宛書簡の孫引き)

 テーマは『坊ちゃん』の主題の変奏と言ってもいいだろう。おそらく社会風刺を目指した。思想だの爵位など資産だのを防寒具のように着こんで人間から進化したみたいに涼しい顔したり、イキリ倒したりしている、そんな連中の巣食う社会を蹴っ飛ばしてスッとするような人間を欲した。しかし、出来上がってしまったのが、とてもイギリス帰りの文学者の作品とは思えない江戸っ子風味で、落語にもならなそうな珍談になっているのが面白い。

 『二百十日』は、青年期の男二人が、九州を旅した話。二人で温泉に入るのはいいが(すでに碌さんは圭さんと共に街から九州に赴いているのだが)、宿で一泊した後、噴火活動中の阿蘇山に上るという冗談みたいな展開を見せるのである。
 宿で下女を交えての一幕。

「人格にかゝはるかね。人格にかゝはるのは我慢するが、命にかゝはつちや降参だ」
「まだあんな事を云つてゐる。――ぢや姉さんに聞いて見るがいゝ。ねえ姉さん。あの位火が出たつて、御山へは登れるんだらう」
「ねえい」(引用者注:「はい」の意)
「大丈夫かい」と碌さんは下女の顔を覗き込む。
「ねえい。女でも登りますたい」
「女でも登つちや、男はぜひ登る訳かな。飛んだ事になつたもんだ」
「兎も角も、あしたは六時に起きて……」
「もう分つたよ」
 言ひ棄てゝ、部屋のなかに、ごろりと寝転んだ、碌さんの去つたあとに、圭さんは、黙然と、眉を軒げて、奈落から半空に向かつて、真直ぐに立つ日の柱を見つめてゐた。
(漱石全集第三巻214頁)

 碌さん圭さんに丸め込まれる。
 こんな調子の二人のやり取りが、究極のところ、どこまで二人を連れて行くかと言うことを描いたらこうなったと、作者は言うだろうが、これでは向こう見ずな馬鹿の珍道中である。たしかに、こういう人間が日本にはいないことは確かだが、これを東京のど真ん中においたら大変な事になるだろう(だから、九州の温泉地から話を始めたのかもしれない)。旧州域の汽車に乗る段でもひと悶着あったに違いない。
 上で引用したように、山の状況はどう考えても危ないのだが、圭さんは慷慨精神を忘れずめげず、頂上を目指す。碌さんは断れない。この奇妙な味わいが、この作品の特徴と言っておこう。山登りの風景はそれなりに迫力があり、軽い動機で赴いて自然の脅威にさらされ、割と危ない状況になる。

「痛むんだらう」
「痛む事は痛むさ」
「だから、兎も角も立ち給へ。そのうち僕がこゝを出る工夫を考へて置くから」
「考へたら呼ぶんだぜ。僕も考へるから」
「よし」
 会話はしばらく途切れる。草の中に立つて碌さんが覚束なく四方を見渡すと、向ふの草山へぶつかつた黒雲が、峰の半原で、どつと崩れて海のように濁たたものが頭を去る五六尺の所迄押し寄せてくる。時計はもう五時に近い。山のなかばは只でさへ薄暗くなる時分だ。ひゅうひゆうと絶間なく吹き卸ろす風は、吹く度に、黒い夜を遠い国から持つてくる。刻々と逼る暮色のなかに、嵐は卍に吹きすさむ。噴火孔から吹き出す幾万斛の烟は卍のなかに万遍なく巻き込まれて、嵐の世界を尽くして、どす黒く漲り渡る。
(漱石全集第三巻240-241頁)

 もちろん、二人は死にはしない。

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2019年6月19日水曜日

志賀直哉/『暗夜行路』

志賀直哉の『暗夜行路』は、20代後半くらいの小説家の半生を描いたもので、その間のほぼ人生全体にわたり、雑多なテーマをこなしていくが、基本的には、恋愛話が中心である。恋愛と言うと、男と女の磁力の強弱を扱うのが恋愛小説始まって以来衰えのない流行りだが、こういうものは全然なく、主人公の性欲が根源となって相手を求めていくところに特徴がある。

 「ちょいと、これでしたわネ」と登喜子は謙作の顔を覗き込むようにして、同じ指を握り返したりした。そんな時、他の人の場合では、感じない鋭敏さを以って、その握り方の強さを彼は計った。『暗夜行路』第一2

 彼は放蕩を始めてから変にお栄を意識しだした。これは前からもないことではなかったが、彼の時々した妙な想像は道徳堅固にしている彼に対し、お栄の方から誘惑してくる場合の想像であった。『暗夜行路』第一11

 かと言って、人間の本性を暴いたとか、そういう風でもないのである。
 ところで、書いた本人は、テーマについて「女のちょっとしたとういう過失が、――自身もそのために苦しむかもしれないが、――それ以上に案外他人も苦しめる場合があるということを取り上げて書いた。」といっており、確かに大筋はこれに基づいて主人公の行動指針は定まっていく。途中主人公が東京から尾の道に居を移したのもこれが原因であるが、そうこうしているうちに京都で結婚している。結婚して生活が始まるのもまた恋愛小説ではあまり見ない展開ではないだろうか。

 私が面白く思ったのは、この長編は、夏目漱石から『こころ』の後の朝日新聞小説欄を任されて書き始めたという話で、「ちょっと難しい」と志賀が回答したところ、「書けないことを書いてしまえばいい」と言ったそうだ。そういうわけか、『暗夜行路』の新婚生活中の描写に、全然筆が進まなかったことが書いてあり、「小説の書けない小説家」というテーマもこなしている。この手のものは、大抵小説家の愚痴が、担当編集や批評家風読者の悪口と一緒に料理されているのが普通だが、まったくそういう気配はなく、主人公の新婚生活は如何にも幸せと言う感じが出ていて、多少不幸がないと筆も進まないものかと思いながら、読み進めていくと、そうでもないことがわかる。

 志賀直哉の『暗夜行路』の感想を書こうと小林秀雄の『志賀直哉』を読み直した。とても参考になったが、その彼にしても、この作品から受ける無駄な読後感のなさと言うものとの格闘の後がないわけではなかった。ドストエフスキー論の饒舌と比べれば一目瞭然である。「余計な読後感などない」と書いたところで紙幅は埋まらないから、しかたなく読後感をでっちあげるのだ。

 読後感のなさの原因は、文章であるように思われる。志賀直哉の文章一般に言えることは、余計な事を考えさせないということではないだろうか。ただ筋を追っていく楽しみだけでなく、文章の世界に没入させること、これを陶酔力と言えば、その力は抜群で、ただ上質な読書体験ができるという点でも本書はお勧めできる。

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2019年2月19日火曜日

竹村 彰通/デ『データサイエンス入門』

仮定を立証する意味で、統計的手法をとることは今までも行われてきた(朝食と成績の相関関係など)ことだが、これからは、数字先行型の、とりあえず数字だけ記録しておいて、振り返ってみると、どうやら法則があるようだという段階に移りつつある、そういう話が載っていた。

 なお、統計にまつわる数学や理論は、伝統的な学習方法で身に着けてくださいとのことで、この本を読んで身につくわけではない。あくまでこういうことができて、きっとこういう可能性がありますよと言う紹介にとどまるもの。

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数字の意味を見易くする新しい眼鏡


 インターネットの登場と電子記録媒体の発展によって、数値の記録などは義務のように行われている。あまり意識されていない方も多いようだが、ネット上のすべての行動は記録されているといっても過言ではない。ビッグデータと呼ばれているものの一つである。『我がままな感想』のアクセス数は微々たるものなので、統計的には大したデータにはならないが、大きくなればなるほど人の動きの大きな傾向を把握する事が出来る。どの記事がよく読まれているかを把握するのはもちろんのこと、どういったテーマが読者の関心を引き付けるのかなどなど。ビッグデータは、社会科学の領域を、理念系と呼ばれる人形を超えて、より身近な生の行動に即した領域へと広げたといっても良いだろう。

  しかし、気をつけなければならないのは、統計の真理は、計測可能領域に限られるということだ。例えば、大手検索サイトのデータは凄まじい量だが、それは積極的に探したいものがある人間を対象としたアンケートに過ぎない。それを、全人類の意図と受け取るのは誤りである。

  数値先行型は、仮定を抜かしているという点で、数字の大きさに惑わされ易い。数値が新たな視点を提供し、問題解決の大きな助けになることは違いないのだが、有無を言わせない大きな傾向をそのまま回答として受け取るのは危険である。やはりここは、バルザックが『幻滅』で書いたように(統計自体は別に新しい学問ではないのだ)、「濫用しなければ便利な道具さ」という気分で利用するのが、妥当なところなのではないだろうか。ビッグデータは、社会を見えやすくする数字をもたらしたと捉えるべきだろう。その意味するところを見るための眼鏡を磨くのが、データサイエンスという分野ではないかしらん。

幻滅 ― メディア戦記 上 (バルザック「人間喜劇」セレクション <第4巻>)
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2019年1月21日月曜日

葛飾北斎(日野原 健司 編集)/北斎 富嶽三十六景


 世界的に著名な北斎の『富嶽三十六景』及びその派生作品の画集で、作品ごとに二頁ほどの解説を付けたもの。カラー印刷で、手軽であり、持ち運びに便利だが、絵も見開き二頁のため、文庫本の制約で真ん中は隠れてしまっている。

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 もちろん巻末の解説は付いているが、北斎の人となりや生涯、仕事の概観については、カラー版 北斎に当たった方が良いだろう。この本は、江戸時代に花開いた版画産業の構造についての解説もあり、しかもわかりやすい(これはとても重要な事だ)。カラー版岩波新書シリーズでも優れた一冊である。

2019年1月15日火曜日

バーリン(河合秀和 訳)/ハリネズミと狐――『戦争と平和』の歴史哲学

この論文は、トルストイの『戦争と平和』に現れる歴史哲学を扱ったもので、登場人物の名前が散見され、同作品の読者でなければ退屈なものであるように思われる。読者であっても、トルストイの独特な歴史哲学、私が読んだところでは「すべて人間は歴史の流れに沿う以外にうまく生きることはできず、その流れの前ではナポレオンも凡人である」と言うものを読み飛ばした人は結構いると思う。論文化した最終章は特にそうだ。

 トルストイが『戦争と平和』を書き始めた当時、ナポレオンに関する歴史的記述は彼の天才性によるところが大きいという一種の神秘主義に支配されていた。これが気に食わないトルストイの展開した歴史議論は、それに対する痛烈な反論であった。しかし、いきつく結論は、要するに、「流れ」自体は不可知領域にあり、感じるまま、あるがままがいちばんという、あまりに迷信的な、あまりに受け入れ難い楽観主義であった。神秘的という点で、二つはあまり違いがない。ここから、大文学者トルストイと二流未満の歴史家トルストイという見方が現れる。

 この本でのバーリンの仕事は、ほとんどの人が真面目に受け取ることはなかったトルストイの歴史哲学の再考にある。

 ただ、バーリンの本当の目的は、新しい歴史哲学の発見(確認)であった。後半の解説に詳しい多元主義的な見方と呼ばれるものがそれである。ほとんど考えることをやめたに等しいトルストイの歴史哲学の中に、より正確な回答のようなものがあると考えていたとは思えない。トルストイは、「既存の歴史に対する見方を破壊するまでは完全に正しく、手法も冴えわたっているが、一方でトルストイ流の歴史哲学には彼自身の問題に深くかかわっている」という洞察もみられる。

 バーリンの中でのトルストイは、自分の考えにとっては曖昧な、しかし、回避する事の出来ない存在として取り上げられていることを、本文を読んで何となく感じられるところである。新たな思想のため、バーリンには、トルストイの洞察をバーリンが志向する歴史哲学の先見例として祭り上げることもできただろう。巷の三流文士がよくやるように。そうしなかったのは、彼の分析者としての性質によるのではないだろうか。

 非常に鋭くて想像力が大きく、また明敏な分析者はすべて、もはや壊すことができない核心に行きつくまで物を分解し砕いていく。『ハリネズミと狐』

 彼はここでトルストイの性質について語っているだけではない、自分の性質についても言っているのである。この手の直観によるほかに、人は人に近づくことはできない。バーリンもまた分析者であった、しかも明敏な。以下の結論は、論理以前に存在していたと私は推察する。

「トルストイの現実感覚は最後まであまりにも破壊的であった。彼の現実感覚は、自分の知性が世界を粉砕し、そしてその粉砕した断片を材料に彼がやっと構築した道徳的理想と両立する事が出来なかった」『ハリネズミと狐』

 バーリンが分析したのはトルストイの『戦争と平和』だが、彼は後半でトルストイの哲学と悲劇的な運命に別れを告げた。バーリンの分析の力が、哲学を切り離し、トルストイにしか背負うことのできなかった重みを眺め、別れを告げさせるのである。ここに至る恐ろしいまでの迂路と見事な論述捌き、紙背に宿る執念と情熱は読んだ人にしかわからない。バーリンにはもっと楽な道はあったはずだ。

 その一方で、『戦争と平和』以前にトルストイの性質として残ったもう一つの塊、冴えわたった破壊の手腕に着目するのである。バーリンの驚くほど明切な筆は、トルストイの歴史哲学の手法に食い込むとともに、彼の作品のすべてが背負う羽目になった私小説的性質の作品本文を透過して、メーストルと言う同志を探り当てる(これはもう鳥を刺す矢のような直感から始まる比較論である)。破壊的と言う一点において、二人を交差させ、トルストイと言う一人の悲劇的人物について、上で引いた結論にまで道を引く。


2018年8月12日日曜日

吉田秀和/『二十世紀の音楽』

吉田秀和の『二十世紀の音楽』が重版出来。これは名著だ。
 クラシック音楽の本と言えば下らないものが大半である。作曲家の下劣なゴシップネタ一覧と、ななめ読みの駄本が量産される中で、一般向けの教養書として、読むことのできる本を見つけるのは本当に難しい。特に二十世紀の音楽となると誰も書く事が出来ないのが現実である。二十世紀の音楽に起きた変革、特に、シェーンベルク、ベルク、ウェーベルン等が先鞭をつけたいわゆる「十二音技法」等の作曲方面での変革は、「崩壊」と言ってもよいほどのもので、彼らの音楽は未だ新鮮な響きとして、つまりは、難解な響きとして我々の耳に迫るが現状である。そんな中で、吉田秀和氏の『二十世紀の音楽』は、二十世紀の音楽が耳に奇怪なものとして響く読者に寄り添い、歴史的経緯と、構造を簡単に解説し、これら一定の擁護によって、再び読者を二十世紀の音楽に向かわせてくれるという点で、最良の本なのである。読んでためになるだけではない、趣味まで増えてしまう。音楽の趣味をさらに広げてみたいという人には格好の一冊と言えましょう。

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2018年1月3日水曜日

夏目 漱石/『道草』

年末年始の休みはこれを読むことに費やした。費やしたと書いてしっくりしたので、時間を無駄にしたと感じているのかもしれない。やっぱり有意義だったかもしれない。

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人生とは、それは道草のような


 『道草』を書いた漱石は、すでに『心』を書き終えた身である。作家生涯最高の作を書き終えた漱石が見詰めたのが、悩める青年時、結婚も済み、教師として道が定まりかかった彼の前半生であった。残る問題は、彼の親族の話と、文学における永遠性についての問題であった、と言えば派手だが、それと同時に、持続する家庭の安定した運営もまた問題となりつつあった。これは『猫』の成功によって好転するものでもなかった。どれもこれもおさまりの悪い終わりとはじまりの連続である。

 このように並べてみると、おおよそ人生で遭遇する緩やかな辛さを延々と続き、むき出しのリアルに面接するのだが、妻の出産の場面の書き方などはあんまり露骨にすぎる。 自然と『アンナ・カレーニナ』の出産の場面を想い出して比べてみたが、その光景のあまりの違いに暗いものを感ぜざるをえなかった。あっちは昼で、こっちは早朝という話ではない。命の誕生の喜びと「何か見てはいけないもののように感じ」云々の差である。ただか細い鳴き声が響くのみ。

 ところで、島田(養父)の妻に子供ができていないという点を指摘した人はいるのかしらん。 これは再婚後も同様で、当時の事なので、健三への執拗なあたりはそこに端を発するのではないかと思う。ただ、ありのままにつらい。確か、島田も別の女で実の子を作っていたはずである。

2017年1月21日土曜日

ゴーゴリ/『外套』、『鼻』

外套・鼻 (岩波文庫)

 ニコライ・ゴーゴリの代表的短編奇憚『外套』、『鼻』を収めたもの。翻訳は平井肇氏による。表紙の紹介によれば、平井氏はゴーゴリの名翻訳者として知られているようである。訳文は、やや古めかしいものの、読みやすかった。

ペテルブルクもの(ロシアのリアリズム)



 おさめられた両作品とも、ペテルブルクを舞台にした話である。加えて、話はリアルタイムの出来事をとして書かれているのが特徴。ペテルブルクの読者は、現代で言うところのニュースやドキュメンタリーを見るような感覚でゴーゴリの小説を読んでいたのかもしれない。もっとも、外套を盗んで歩く幽霊だとか、鼻が役人の姿をして街を歩き回っていただとか、一向にあり得そうもない話が並んでいるわけだが、ニュースやドキュメンタリーとは時にそういう種類のものではないだろうか。
この手の小説の書き手と言えば、フランスのバルザックがいる。彼の代表作『ゴリオ爺さん』にはつぎのような一節がある。

果たしてこの物語がパリ以外の人間に理解されるものかどうか、検討してみるのもいいだろう。なるほど、この物語の背景を説明するこまごまとした観察や地域色を多分に含んだ描写は、もしかすると、モンマルトルの丘とモンルージュの丘のあいだ、今にも剥がれ落ちてきそうな漆喰壁と黒い泥の川とがつくりだすパリというその名高い谷間でしか、評価されないかもしれない。(バルザック(中村佳子訳)『ゴリオ爺さん』8頁)

バルザックとゴーゴリに共通していることは、なんといっても自分が今住んでいる町に対してどういう種類のものであろうと愛着を持っていたという点である。当時のロシア文学会は、フランスほど洗練されているものではなかった。ツルゲーネフのような後代にいたっても、ロシア語で物を書くには読者のために様式を幼稚化させざるを得なかった(ロシアの読者は恋愛のない物語を物語と認めなかった)。こういう中で、リアリズムという最新式の文学上の思想がペテルブルクの土壌に根付いたのは不自然なくらいだ。両世界評論誌の風にのって技巧が伝搬されたのもあるに違いないが、おそらく、ゴーゴリの向けるペテルブルクへの愛着がバルザックという先駆者を発見せしめたためであろう。行く道の先に導があれば、あとはそこまで走れば良い。

パリの街の名前が、渋谷、銀座、六本木や霞が関といった具合に現れても、その臨場感はわからない。それと同様にネフスキー通りと言われてもピンとこないものであるし、上で引用した通り、書き手もそのことを知った上で書いている節がある。二人はどういうわけか非常な自信を持っていた。バルザックは、上の文章に続けて次のように書いている。

そこは正真正銘の苦しみと、大抵はまがい物である悦びが氾濫する谷だ。つねにめまぐるしく変化しているから、そこで多少とも長持ちする刺激を生み出そうとすれば、常軌をいっした何かが必要となるはずだ。(中略)このドラマはただの作り話でもなければ、小説でもないのである。「すべてが真実」なのであって、真を突きすぎて、誰もが、どこかしらに自分に通じるものを見えつけることになるだろう。(同上)

 バルザックは、「この町の人間であろうとなかろうと、おそらくこの物語を終わりまで読めば、きっと涙をこぼすだろうからだ。」と前置きしていることも付け加えておこう。ゴーゴリとて同じ思いでペテルブルクの下級官吏を描いたことだっただろう。二人は、文明を芸術家的に、つまりは情緒的にとらえるという点で一致していた。

第二のゴーゴリ



 ドストエフスキーの綽名は多いが、その中の一つに「第二のゴーゴリ」というものがある。大抵『罪と罰』以前の作風を指してそのように呼ばれる『貧しき人々』はどの典型といえよう。ただ、『罪と罰』以後の作品においても、巣立った巣の匂いはいつまでたっても消えないものであろうか、ゴーゴリ風の書きぶりは見られる。

 そうこうするうちに、この稀有な事件の取沙汰は都の内外に広がって行ったが、よくある例で、いつかそれにはあられもない尾鰭がつけられていた。当時、人々の頭がなんでも異常なものへ異常なものへと向けられており、ごく最近にも磁気学の実験が公衆の注意を惹いたばかりの時であった。そのうえ、コニューシェンナヤ通りの踊り椅子の噂もまだ耳新しい頃であったから、忽ち、八等官コワリョフ氏の鼻が毎日かっきり三時にネフスキー通りを散歩するという評判がぱっと立ったのも、不思議ではなかった。物見だかい群衆が毎日わんさと押しかけた。

 これは『鼻』からの引用だが、こう言う書き方が、例えば、ドストエフスキーが『白痴』でムイシュキンとロゴージンとナスターシャの事件を概観するところや、『悪霊』でスダヴローギンを紹介する段で応用されていることにすぐに気が付くだろう。しかし、ドストエフスキーがペテルブルクを描いたのは、ただ愛着のためではなかったし、ラスコーリニコフにペテルブルクを歩かせた際、「――稀にではあるが、あることにはあり得るのである。」という注釈を必要としなかった。


 『外套』でゴーゴリは、隣人愛を説いているとのことである。一方で『鼻』では、闊達な芸術的手腕を見ることができるらしい。解題ではそのような事が書いてあった。正直なところ、私はゴーゴリの言いたいところのものにピンとこなかった読者であるから、解題を書いた平井氏の言うところはよくわからなかった。しかし、知らない土地の知らない時代の話であっても、退屈しなかったことだけは書いておかなければならない。私は役人たちが織りなす喜劇を楽しんだのである。また時が経って読み直してみると、見えなかったものが見えてくるかもしれない。

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狂人日記 他二篇 (岩波文庫 赤 605-1)